* す だ か *

ワインの話


 高い所に物を置いたり、取ったりする時、僕はいつもアバッキオに頼む。
 アバッキオは仲間の中でも一番背が高いし、あぁ見えて優しいからだ。
 いや、きっとそれだけじゃない。
 僕は心のどこかで彼に憧れている。
 彼は僕と違って18までまっとうに生きてきた。正義感を掲げていたし、志もあった。少年時代をクズのように生きた事は無かったはずだ。
 そんな彼を、僕はよくぼうっと眺める。
 そうすると、彼の中に光を見るのだ。温かくて、明るい光だ。
 僕はそれに触れるのが好きで、アバッキオに高い所にある物を取ってもらい、おいしいワインを薦めに行くのだ。
 
 ある時、僕は確信した。今までもなんとなく感じてはいたのだが、それらが一つに固まって形になった。
 アバッキオはブチャラティが好きだということ。
 好きって言うのは色々あって、友愛、敬愛はもちろんだ。しかし、僕が気付いたのは恋愛の類だった。
 特に決定的な何かがあったわけじゃあない。でも、彼を見ていれば誰でも気付く事だった。むしろ僕は確信するのが遅かったに違いない。アバッキオはいつもブチャラティを目で追っているし、ブチャラティが居ると明らかに表情が明るい。
 それに気付いた時、別にアバッキオに対して嫌悪など感じなかった。むしろ当たり前だと思った。
 なのに、僕は決定的な物が欲しい。当たり前だと思うのに、どこかでまだ信じられずにいた。
 そう、きっと信じられないのだ。
 だから一度、アバッキオにそれとなく聞いてみようと思った。僕とアバッキオの間にはワインがある。僕は買い出しのついでに適当なワインを買った。いつものようにワインを薦める調子で聞き出してやろうというのだ。我ながら回りくどい。
 買い出しから戻ると、狙ったかのようにアバッキオだけがリビングにいた。ブチャラティは仕事をしているのか、部屋に籠っているらしい。
 アバッキオはよほど暇なのか、珍しく新聞を読んでいた。「ただいま」と言うと「おう」とだけ返ってきた。
 紙袋をアバッキオの前に置いて、中身を取り出す。パンにトマトにハムにレタス。それらをすべて冷蔵庫や棚にしまうと、最後にワインを取り出した。
「一緒にどうですか」
 アバッキオは新聞をさっと畳んで、待ってましたとばかりに笑うと「ちょうど退屈してたんだ」と言った。
 こういう時、僕らの間には、誘った方が飲む準備をする、という暗黙の了解がある。僕がグラスを取り出して、コルクを抜くのを、アバッキオは眺めているだけだ。
 いつもの事なのに、僕は妙に緊張していた。
 僕が二つのグラスに等しくワインを注ぐと、アバッキオは遠慮なく一つのグラスを手に取った。
「いつも悪いな」
「いえ。僕が好きで買ってくるんですから、気にしないでください」
 一口、ワインを口に含んだ。香りは良いが、いまいち口当たりが良くない。
「あんまり良くなかったですね。料理用に回しましょうか」
「お前は鼻が利かねぇからな」
 僕がふくれて「じゃあ今度はアバッキオが買ってきてくださいよ」と言うと、彼は楽しそうに笑った。
 ワインをちびちび飲みながらアバッキオを見る。どうにも話を切り出すタイミングが掴めずにいた。
 あと一口飲んだら聞こう。あと一口。もう一口…。
 そう思っても、グラスの中身が減るだけで何の解決にもならない。
 ワインをじっと睨んで、ため息だけがこぼれた。
「どうかしたのか」
「え、あ、えと…」
 いきなり声を掛けられて思わずどもる。だが、これはチャンスじゃないのか。
「ねぇ、アバッキオ。あんた、ブチャラティの事どう思ってます」
 アバッキオが顔をあげた。僕は目を背ける。
「今さら聞くか、それ」
「いいじゃないですか。僕らの話題なんてブチャラティかワインぐらいしかないでしょう」
 グラスにわずかに残ったワインを眺める。紅いそれに映って紅色をした僕と目が合った。
 アバッキオは「それもそうか」と言ってグラスを置く。
「…良い奴だよな、お人好しというか」
「えぇ」
「恩もあるし、力になりたいと思う」
「僕もです」
「ずっと隣にいて、支えてやりたい」
「アバッキオ」
 夢を見るような、夢を語るような、うっとりとした表情で話すアバッキオに、つい制止をかけた。
 アバッキオはそれに気付いたのか、気まずそうに眉を寄せ、口元を片手で覆う。
 そんな表情すら美しく、眩しいものに見えた。
「もしかして、ブチャラティのことが好きですか」
 アバッキオは一瞬目を見開いたが、すぐにいつもの表情に戻った。グラスを傾けてワインを弄びながら「う〜ん」と唸っている。 
「そりゃあ好きだろうよ。お前らも皆そうだろ」
「そうじゃあないんです」
 なるべくゆっくり、なるべく静かに言う。
 僕は知らない内に握っていた自分の拳を見て驚いた。机の下に隠れていて良かった。しかし、アバッキオはその拳を見たかのように、不安そうな顔をして僕を見ていた。
「大丈夫か。具合でも悪いのか」
 何を言っているのか、分からない。僕は具合なんか悪くない。
 グラスの中のワインを見ると、苦しそうに顔を歪ませる僕と目が合った。
「いいえ。なんでもありません」
 あわてて笑顔で答える。自分がこんな表情をしていたなんて、気付かなかった。
 心配そうに声をかけるアバッキオをなんとか説き伏せて、話を戻す。
 この機会を逃したら、僕はもう二度と聞けないだろう。
 また話が逸れないよう、もっと軽い空気で話すよう努力しなければならない。いつもフランクなミスタが、少し羨ましいと思った。
「アバッキオ。僕が言いたいのは、恋愛の対象として好きなんじゃあないか、ってことなんです」
 ようやくそう言うと、どうしてもアバッキオを直視できなくなった。焦って単刀直入に聞いてしまった。
 きわどい事を聞いているのは分かっている。間違っていたら怒られるような事だってことも。
 でも、もう言ってしまったのだからしょうがない。僕はただアバッキオの返事を待つしかないのだ。
 しばらくして、アバッキオが大きな溜め息をついた。
 僕は怒られるのではないかと思って、大げさに体を強張らせた。
「隠しても仕方ねぇよなぁ…」
 呟きが聞こえて、はっとアバッキオを見た。
「そうだな、好きだよ」
 あぁ、しまった、と思った。せめて順序が逆であればよかった。
 僕はアバッキオが好きなんだ。
 なんで今気付いてしまったんだろう。ずっと分かっていたはずなのに、どうして今確信してしまったんだろう。
 今の僕はどんなに惨めなことか。
 ワインには拳を握る僕が映っている。もう顔はあげられないだろう。
「フーゴ?」
 恥ずかしいから何か言えよ、とアバッキオが苦々しそうに言う。
「じゃあ、アバッキオ」
 あぁ、きっともう耐えられない。いっそこのまま突っ伏してしまいたい。
「僕がもし。もし、君のことが好きだって言ったら、どうしますか」
 アバッキオが沈黙する。その間すら耐えられない。
 逃げてしまいたい気持ちと、ちゃんと彼の言葉が聞きたいという気持ちが交錯して、今の俯いた僕を座らせている。
「はは、なんだそりゃ」
 固い、引きつった声。今の僕を見れば『もし』なんかじゃない事はばればれだろう。
「俺なんかより良い奴がいるさ。お前には」
 アバッキオは優しいんだ。ちゃんと分かっているから、ちゃんと答えてくれる。
「アバッキオは優しいですよね」
 机に突っ伏して、寝たふりをした。アルコールが回って本当に寝てしまいたかったのだから、あながち嘘でもないけど。
 アバッキオが僕を呼んだけれど、身動き一つしないようにした。
 ゆっくり、ゆっくり、意識が暗くなるのを待った。

 目が覚めると自分のベッドの上で寝ていた。
 ぼうっとしてから時計を見ると3時を指していた。外を見ればそれが早朝であると分かる。
 もう一度寝る気にもなれず、ベッドを抜けてリビングに降りた。
 昨日のワインがボトルに残って、机に放置されている。グラスは片付けられていた。
 僕は机の上のボトルを手にとって、全て流し台に捨てた。
 綺麗な紅が排水溝に取り込まれ、未練がましく流し台に張り付く。鬱陶しいので水で流してやると、それもやがて無くなった。
 泣いてしまおうか、と思った。しかし生憎そんな純粋な涙は持ち合わせていないようで、泣くに泣けない。
 外を眺めていると新聞配達の音が聞こえたので、新聞を取ってきて、それを読んで暇をつぶす。
 最初に起きてきたのはブチャラティだった。
 「おはようございます」と言うと、「おはよう」と返ってきた。
「昨日は体調が優れなかったみたいだが、大丈夫か」
 昨日の夕方から寝ていたのだから、心配されるのも無理はないだろう。
 それより、アバッキオが皆に僕について説明してくれたのだと思うと、申し訳なく思った。
「えぇ。寝過ぎて目が冴えちゃいました。心配かけてすみません」
「いや、気にするな。そういえば、ここにあったワインはどうした」
「捨てました、不味かったので。ブチャラティ、飲むんですか」
 ブチャラティはびっくりして「そうか、もったいなかったな」と言った。
 その後、ブチャラティは仕事をすると言ってまた自室に籠ってしまった。あとで朝食を持って行かなくちゃな、と考えて、とりあえず紅茶を淹れることにする。
 湯を沸かしてポットを温めていると、アバッキオが起きてきた。
 僕は昨日と変わって、ずいぶん穏やかな気持ちでアバッキオに「おはようございます」と言った。
「おう。…もう大丈夫なのか」
 恐る恐る、といった風にアバッキオが言う。
 ポットの中の湯を空けて、茶葉を入れながら「えぇ」と返す。
「昨日は色々と迷惑をかけたようで、すみませんでした」
「いや、気にするな」
 ポットに湯を適量注いで蓋をする。振り返るとアバッキオはまた新聞を読んでいた。
「そうだ、アバッキオ。また棚の上に置いてもらいたい物があるんです」
 茶こしとポットを机に置いて、さっき中身を空けたワインボトルを手に取る。そして、それを適当な木箱に入れた。
「空き瓶を箱に一まとめにしておこうと思いまして。これ、お願いできますか」
 アバッキオは木箱を受け取ると、中のビンを見て目を細めた。そして、少し笑ってから「あぁ」とだけ言って、棚の上に軽々とそいつを置いた。
 僕はそれを見送ってから3つのコップに紅茶を注ぎ、「ありがとう」と笑った。

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