* す だ か *

洗面台の話


「早いな、ジョルノ」
 ブチャラティが目覚めて洗面台に向かうと、そこには既にジョルノがいた。
「おはようございます。ブチャラティ」
 ジョルノはずいぶん前からここにいるのか、前髪のコロネは出来あがっていた。今は三つ編みをしているようだ。前髪でさえ複雑な構造をしているのに、後ろの三つ編みもなかなかに面倒くさい。
 こいつは髪のセットに毎日何時間かけているのだろうか。そんな事を考えながらブチャラティは顔を洗った。
 このアジトの洗面台は少々狭く、二人がやっと入れる程度だ。
 一人が鏡を使うとなると、そこにもう一人が居ることはできない。つまり、ジョルノは今押しのけられていた。
 鏡はこの洗面台かその隣の風呂場にしかないし、その鏡も一人用のため、大きくない。
 完璧に髪をセットしたいジョルノは、両手で髪を抑えたままブチャラティを無言で睨んだ。なんとかブチャラティが屈んでいる間に鏡を見るが、最後の輪っかが出来ない。これがないとただの三つ編みになってしまう。主人公として個性を出し切りたい。ジョルノの辞書に妥協の字はないのだ。
「すいませんブチャラティ。少し横にずれてくれませんか。鏡が見えないんです」
「ん、あぁすまん。すぐに終わる」
 そうは言ったものの、ブチャラティに退く気配はない。ずれたら洗面台が使いにくく、下手をすれば床が水浸しになりかねないからだ。
 しかし、ブチャラティにはそれ以外にも目的があった。
(ここで退いてしまっては、俺の髪のセットも難しくなる…!)
 ブチャラティも頭の三つ編みに気を使っているのだ。皆をまとめるリーダーとして、毎日ビシッと決めなければならない。ポリシーがあるのだ。あとただのおかっぱだと、子供に笑われた事がある。リーダーが子供に笑われるなんてギャングの恥だ。
 ジョルノはトロトロと顔を洗い、一向に退かないブチャラティを不審に思い始めた。
「ブチャラティ、あんたまさか…」
 ジョルノとブチャラティの間に不穏な空気が漂い始めたその時。
「おはようございます」
「あ、フー…誰ですあんた!」
「今フーゴって言おうとしてたじゃないですか」
 次に洗面台に来たのはフーゴだ。しかし、髪がセットされていないので、一見誰だか分からない。いつものきっちりと整えられた髪型は見る影もなく、少々の寝ぐせがついていた。
 視線が気になったのか、フーゴは気まずそうに前髪をかき上げた。それだけで普段のフーゴの面影が見えた。
 ジョルノはフーゴの仕草に見とれていた。
(やっぱりフーゴはエロいですね…。おっと涎が)
「あれ、ジョルノ。お前まだ髪結んでないのか」
 気付いたようにフーゴが言った。ジョルノは慌てて口元を拭う。
「あ、はい。鏡を見ないと安心できなくて」
 ジョルノはブチャラティをちらりと見る。ブチャラティは、ようやく顔を洗い終えたところだった。
「僕がやってやるよ。ほら、髪留め貸して」
「え、いいんですか!嬉しいなぁ!」
 ジョルノは嬉々として髪留めをフーゴに渡した。鼻歌でも歌いだしそうなほどご機嫌だ。
 一方ブチャラティは、いそいそと自分の髪を編んでいる。邪魔者がいなくなり、悠々と洗面台を占領している。しかし、そこに新たな刺客がやってきた。
「ブチャラティ、ちょっと水道借りるぜ」
 ストレートヘアーのアバッキオだ。
「ちょっとアバッキオ!僕が先に並んでたんだぞ!」
「おう、悪いなフーゴ。先に使うぜ」
 アバッキオは当然のようにブチャラティを押しのけ、顔を洗い始めた。
 ブチャラティは少し不満そうにしながら、アバッキオが屈んでいる隙に三つ編みを作っていく。
 一方フーゴはぶつぶつと文句を言いながら、しっかりジョルノの三つ編みを完成させた。
「はい、できましたよ」
 ジョルノは嬉しそうに、丁寧に編まれた髪を撫でた。「ありがとうございます」と満面の笑みで言ってから、ジョルノは思った。
(これ、早く鏡で見たいな…)
「アバッキオ、早く顔洗ってどっか行ってください」
 ジョルノがアバッキオの後方から声をかける。先輩に対する言葉とは思えないほど遠慮が無い。
「ふざけんな、オレはメイクもしなきゃなんねぇんだぞ」
「そんなの知らないです。待ってる人がいるって事忘れないでくださいよ」
「だいたいお前もうセット終わってるだろ。ガタガタ言ってねぇで、さっさと着替えてこい」
 アバッキオは顔を拭いて、化粧水を顔に叩き込んだ。化粧水を浸透させるのに、自分の顔にビンタかましているのかと思うような音がする。女子力が高いのか男子力が高いのかよく分からない光景だ。
「ふざけないでください。僕のフーゴが編んでくれた三つ編みですよ。鏡でも見るべきです。いいや、むしろこれは義務だ!」
「おい、ジョルノ。その僕も洗面台待ちしてるってこと忘れてないよな。あと誰のフーゴだって言った、ド低能」
「おいよせお前ら、まずは俺の髪をセットさせろ。もうすぐ出来るってのに鏡が見えなくて留められないんだ。そろそろ腕も痺れてきた」
 ブチャラティは両手で頭の上の三つ編みを抑えている。確かに腕が辛そうだ。
「ちっ。分かったよ、ブチャラティ。あんたの為なら譲ろう。ただしガキども、テメーらはダメだ」
 アバッキオはスッと身を引いて、ブチャラティに場所を譲る。どこまでもブチャラティ贔屓な奴である。
 ブチャラティは「グラッツィェ」と言って鏡を占領する。ふんふん言いながら納得のいく位置で髪を留めた。
「どうだ、アバッキオ」
「おう。いかしてるぜ、ブチャラティ」
「終わったなら早く退いてもらえませんか。三つ編みが堪能できません」
「ふざけるなよ、新入り。どう見ても今ブチャラティが三つ編みを堪能してるだろうが」
「三つ編みに何があるっていうんですか、あんた達。僕まだ顔も洗えてないんですけど!」
 フーゴも片手にフォークを握り締めて震えながら言った。今のところ、ここにいる中で何もできていないのは彼のみだ。その怒りも尤もだが、どこからフォークを持ちだしたのやら、謎である。
「悪いなお前達。じゃあ、オレは部屋で仕事をしている」
 ブチャラティは爽やかな笑顔で去っていった。敵が一人減った。
「俺はメイクしなきゃあならねぇ。こればっかりは譲れないぜ」
「僕はフーゴの愛のこもった三つ編みを堪能します。これは天命です」
「メイクは時間がかかるし、三つ編みなんていつでも見れる。ならまずはこの僕が洗面台を使うべきだ。僕はアバッキオと違って洗顔と髪のセットだけだ。時間はそんなにかからない。これは効率の問題なんだ」
 三人の間には火花が散っている。
 その横をすり抜けて、ミスタが顔を洗って出ていった。ミスタは帽子を被るため、髪のセットは不要なのだ。
 それにしても、三人はミスタの存在に気付かなかった。火花を散らしていた。
「メイクだ。俺はすっぴんじゃ外に出たくねぇ」
「三つ編みです。フーゴがどんな想いを込めて編んだのか見ながら考える至福を邪魔しないでください」
「この中で事務仕事が得意なのは僕だ。僕が仕度を済ませ、ブチャラティの補佐に行き、仕事を早く終わらせるのが一番賢明だと分からないのか」
 最早誰も相手の話は聞いていないようだ。
 その横をすり抜けて、ナランチャが顔を洗って出ていった。ナランチャは髪型にこだわりはなく、いつも適当にバンダナをつけるだけなのだ。
 そしてやはり三人はナランチャの存在に気付かなかった。そう、火花を散らしていたからだ。
「もうやってらんねぇ。ジョルノ、てめぇは風呂場で見てこい。フーゴはキッチンの流しで顔洗って、その後風呂場で髪をセットしてこい。これでいいだろ」
 アバッキオが痺れを切らして提案した。しかしアバッキオ本位の提案だ。
「なら僕はフーゴについて行きます。フーゴの近くで三つ編みを眺めるから良いのであって、一人で眺めても楽しみが半減します」
「ちょっと待てよ。なんで僕が余所に行かなきゃならないんだ。だいたい先に来たのは僕だ。アバッキオが風呂場に行けよ」
 フーゴはジョルノを無視することにしたようだ。全くジョルノには触れない。
「分かった。腕相撲で勝った奴がここを使う。これでいいだろ」
「いいわけないだろ!アバッキオが勝つのは目に見えてるじゃあないか!」
「フーゴが負かされる所も見てみたいですけどね」
 ジョルノは「おっと失敬。つい本音が」などと言って、片手で口元を隠した。手で見えないが、十中八九笑っているのだろう。
 フーゴは「もうジョルノと関わるのはやめよう」と心の中で誓った。
 口論はどんどんヒートアップしていき、終わりが見えない。
「ちょっとあんた達、邪魔なんだけど」
 三人が振り返ると、トリッシュが立っていた。トリッシュも髪を下ろした状態で、一見誰だか分からなかった。
「あたし顔を洗いたいの。退いてくださる?」
「あ、あぁ。すまん」
 三人はすっと身を引いて、トリッシュに洗面台を明け渡した。ボスの娘であり、レディファーストの精神を鍛えられている三人には、他に選択肢はなかった。
 トリッシュはさっきまでのいがみ合いを知ってか知らずか、ゆっくり丁寧に顔を洗い、化粧水をつけ、整髪料とメイク道具の入ったポーチを取りだした。時間がかかるのは明らかである。
 三人の今までの熱は急速に冷えていった。
「……三人で風呂に入るか」
 アバッキオが年長者らしく、結論を出した。
 二人には断る理由も、気力もなかった。
「えぇ、そうですね」
「時間の無駄でした。無駄無駄…」
 三人は背中に哀愁を漂わせ、そのまま洗面台横の風呂場に入っていった。
 トリッシュはそれを見て、「男三人で風呂とか、あいつらホモだったのね」と思っていた。