* す だ か *

僧の晒し首

 天海様は優しい。なんだかんだと言いながら、最後には僕にとって良いように事を運んでくれる。天海様は烏城の皆にも慕われているし、もちろん僕も頼りにしている。
 でも、天海様はきっと僕らを頼りにもしていないし、慕ってもいない。そんな気がする。
 度々天海様は姿を消すし、どこに行っているのか教えてくれない。何かを隠しているし、僕はあの人の何も知らないんだと思う。ただ、その秘密を知ってしまったら天海様は去ってしまうのだろう。鶴の恩返しみたいに、襖を開けたら消えてしまう関係なのだ。頼りなくて、儚くて、とても危うい。
 冷静に考えればとても怪しい人物なのだけれど、僕らは皆天海様の虜だ。
 たぶんこれは化かされているんだろう。
 それでも、僕は一緒に居てほしい。天海様の隣は良い香りがして、守られているような安心感があって居心地が良い。
 疑心はあっても、自分の心の平穏の為だけにあえて疑わない。なんだかすごく不健全な気がするけれど、これが僕達の絆なのだ。

 天海様が居なくなった烏城は冬の海のように寂しかった。兵一人一人の士気も数割減といったところだ。
 朝には優しく起こしてくれて、鍋の話を聞いてくれる。一緒にご飯を食べることはなかったけれど、鍋のおすそ分けを持って行くとにっこり笑って受け取ってくれる。なんてことのない日常だけれど、それだけに崩れた影響は大きかった。
 本当はどこにも行かないでほしかった。ずっと一緒に居てくれと縋れば、困ったように笑って頷いてくれるはずだった。確信があった。でも、そうしてしまったら天海様は悲しむ。だからこれで良いんだ。僕は正しい選択をしたはずだ。
 天海様がここに居るべきじゃない事は分かっていた。いつもどこか変える場所を眺めているような人だったから。空を仰いで、僕なんかよりもずっと大きな存在を想っていた。天海様の為には、そこへ帰った方が良いと知っていた。
 僕は天海様を解き放ってあげたのだ。木の虚を恋しがる鳥を籠から出して、今までの自分を懺悔したかったのだ。
 今まで本当にごめんなさい。あなたの事を想うなら、もっと早くに開放してあげるべきだったんだ。分かってたのに、自分の為だけにあなたを縛り付けてごめんなさい。そう言いたい。
 天海様と一緒に色んなところを見て回って、僕は少しだけ成長出来たと思う。自分の事ばかり考えていたけれど、あなたに支えられて周りを見れるようになった。だから僕はもう迷わない。大切な人が苦しい思いをしているのは嫌だ。今はどうか、あなたの歩む道が幸福である事を祈ります。

 天海様が消えて数日、織田信長の死を聞いた。
 僕を含めた城中の人間が全員凍りついた。あの第六天魔王の死に驚いたというより、天海様との関連を疑ったのだ。
 重鎮達が「安土へ行って、確認して参ります」と言うのを制止し、影武者の用意を命じた。
「安土には僕一人で行ってくるよ」
 僕が立ちあがると、家臣が袴にしがみついて止める。僕は構わず払いのけて、すぐに旅支度をした。
「御一人では危険でございます」
「一人で行きたいんだ。誰にも一緒に居てほしくない」
 強く言うと、周りがどよめいた。そういえば、僕が鍋以外でこんなにはっきりと決断するのは初めてかもしれない。
 誰も馬を準備しないから自分で馬を引っ張り出して飛び乗った。
 夕暮れ時。真っ赤な空を眺めて物思いに耽るあの人を思い出した。

 安土に着くと、城下は思ったよりも落ち着いていた。小腹が空いたので、茶屋で一息つくついでに店主に話を聞いた。僕は武将には見えないから、簡単に話してくれる。聞けばすでに秀吉さんが統治しているらしい。
「えっと、じゃあ信長さんを討ったのは秀吉さん?」
「いいやそれがねぇ、家臣の謀反で倒れたらしいよ。その謀反人も死んじまったから、秀吉様が治めてるとか」
 店主はそう言って道の奥を指し示した。
「ほら、あっちに人だかりができてるだろ? 謀反人の首が晒されているんだ。見てくるといい」
 僕はお礼を言って、お金を渡す。天海様との関連を確認しに来ただけだけれど、一国の主として知っておくべき事もあるだろう。あまり見たくはないけれど、生首なら何度も見ているし、慣れている。ちらっと見て、名前だけ覚えておこう。そう思って人混みに近づいた。
 見た瞬間、視界が狭くなった。耳が遠くなった。肌がピリピリと痺れた。
 首は芸術品のようだった。首を落とした人もその美しさに驚いたのかもしれない。銀色に光る長髪は胴体ごと斬られることはなく、もとの長さのままさらさらと風になびいていた。木の立札に書かれた名前は『明智光秀』。
 違う。あれは、天海様だ。札の名前とは異なる名が、頭にこびりついて離れない。
 首を見て、全て分かった。
 どうして度々姿を消すのか。どうして一緒にご飯を食べてくれなかったのか。あの時どこを見ていたのか。誰を想っていたのか。どこに帰りたかったのか。何を想って烏城に居たのか。
 色んな事が分かり過ぎて吐き気がした。その場から逃げるように走り出すと、後ろから何かに追われているような気がした。恐くて一人になりたくないのに、激しい嘔吐感に堪えられず人気のない所まで走った。誰もいない町外れまで来てついに吐く。生首が気持ち悪かったわけじゃない。あれはまだ状態が良い方だ。だからその表情だって分かった。
 何が幸福を祈る、だ。馬鹿にするのもいいかげんにしろ。幸せだって言うのか? あの首が? あれは苦悩に満ちていた。あれは、全てを失ったものの貌だ。
 気持ち悪い。吐いてもまだ気持ち悪い。偽善者ぶってた自分が気持ち悪い。
 結局僕が汚かっただけだ。僕は成長したんだ。もう一人でも大丈夫だから、外に帰してあげたんだ、なんて言って。そんなの、結果だけ見れば捨てたのと同じ。甘い蜜だけ吸って、自分の都合の良いように利用してただけのこと。元々疑ってたくせに、信じたふりをして、きっとあの人を迷わせてた。その終幕があれだ。
 嗚咽が漏れる。「あぁ」とか「うぅ」とか、情けない声だ。「あなたのせいですよ」と、甘い声が耳元で囁かれた気がして振り向く。何も見えない。近くに人影は無いし、ましてや首は、もうずっと向こうにあるはずだ。
 一生この死を背負うのだと気付いて気が遠くなった。「ごめんなさい」と空に呟いて、言葉の足りなさに絶望する。何度繰り返しても許される気はしない。どんな言葉を並べても無駄だ。きっと贖罪の権利すら僕には無いのだから。

 ふとした瞬間に天海様は現れる。気晴らしに鍋をつつこうとして、対面に居る事に気が付く。天海様は僕の首を掴むけれど、それ以上何もしないし何も言わない。ただ暗い瞳が「お前のせいだ」と訴える。かすれた声で「ごめんなさい」と言うと、冷たい瞳のまま消えていく。夜は枕元に立って、緑色に光る目で僕を射抜く。怖くて怖くて、それでもなんとか眠りにつくと夢に現れる。無数の天海様が「こちらにおいでなさい」と言って手招きをする。中には生首もいて、僕は毎晩飛び起きる。
 城内の人は誰もそれを信じない。僕は天海様に呪われているのに「天海様はそんな御方ではない」と口を揃えて言う。
 僕の食はだんだん細り、布団から出るのも億劫になった。枕元に立つ天海様と顔を合わせる時間が長くなった。温度の無い、爬虫類のような瞳を見て、恐いはずなのに不思議と安心している自分に気が付いた。もしかしたら、と思う所はある。僕だって、自分が天海様に恨まれるような立派な人間でない事は承知している。それでも、恨まれていると思っていた方が、僕にとっては楽なのだ。
 最期に目を閉じる瞬間「ごめんなさい」と独りごちた。冷たい手が頬を撫でた気がしたけれど、僕にはもう見えなかった。


あとがき)晒し首は時代が違うってのは突っ込まない方向で!