蘭丸が光秀と同居するだけの話
2
仕事は早く正確に、がモットーの濃姫によって、すでに蘭丸の母に連絡が入っていた。
蘭丸がどうしようかと頭を抱えて帰ったところ、母が赤飯を炊いていたことによって蘭丸の道は一つになった。変態保健医と一つ屋根の下で暮らす道だ。すでに母は蘭丸の服を大きな鞄に詰め、必要な物を全て車に載せていた。そして明日は車で送ってやる、と嬉々として言うのであった。
そんなにも母は自分が邪魔なのか、変態と一緒に居ろと言うのか、と珍しく悲観する。しかし母は濃姫の従兄弟と言うだけで光秀を信頼しきっている。それに何より母は、登下校が辛いと嘆く蘭丸を見ていたので、止めるわけがない。
蘭丸は本日何度目かの諦めの境地に入った。
早朝、車に乗せられ登校する蘭丸は心の中でドナドナを歌っていた。
授業開始の一時間も前に到着すると、母が「明智先生に挨拶がしたい」と言った。どうりで早く出発したわけだ。
蘭丸は母と光秀のファーストコンタクトで全てがぶち壊しになるかもしれない、と淡い期待を抱いた。
光秀はとにかく見た目からして変態なのだ。黒いワイシャツに白衣はいいが、趣味の悪いチョーカーを付けている。さらに白い長髪で右目は隠れていて、いかにも不審者なのだ。お気に入りのマグカップは髑髏型。気味の悪い笑い方も相まれば、可愛い息子を預けられる人間ではないと分かるはず。
そう思えばにわかに勇気がわいてくる。相手が変態で良かったと思えてくるのは、さすがに神経が麻痺しているようだ。
戦場に立つ武将のように勇ましく、蘭丸は母を引き連れて保健室の戸を開けた。そこにはいつもの服でいつものマグカップを持った光秀がいた。瞬間、蘭丸は勝利を確信した。
「おはようございます。蘭丸君のお母様ですか? 私が蘭丸君を預からせていただきます、明智光秀といいます。よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げる男に、母はしどろもどろしながら
「こちらこそよろしくお願いします」
と言って菓子折を手渡した。
そこからは光秀のペースだった。爽やかな笑顔と慇懃な態度に、母が悪い印象を持つはずがなかった。二人の会話をぼうっと聞いていた蘭丸は、唐突に
「では蘭丸君、改めて、これからよろしくお願いしますね」
と言われ、会話が終了したのを知った。
母と光秀に手伝われ、車の荷物を光秀の車に移し終えると、母は笑顔で帰って行った。息子を預けるのになんの心配もないようだ。蘭丸は母のいる間に、ついに一言も喋れなかった。
母を呆然と見送った後、光秀がくすくす笑い出した。いつもの感じの悪い笑いだ。とたんに蘭丸は腹立たしくなった。
「お前なに猫被ってんだ! 気持ち悪いんだよ!」
声を荒げると一層光秀は楽しそうに笑い出す。
「こうすれば登下校が楽になるんですよ? お手伝いをしてさしあげたというのに、感謝の言葉も言えないんですか」
「うるさいうるさい! 変態なんかに感謝するわけないだろ!」
蘭丸はどんどん鬱憤を吐き出そうとした。しかし、そこで始業のチャイムが鳴った。
「あぁもう! お前なんか大嫌いだ!」
そう吐き捨てて去ろうとした。しかし
「蘭丸」
と、静かな低い声で呼びとめられた。振り返ると光秀が微笑んでいた。
「放課後、待ってますよ」
呪文のようだった。逆らえるわけがない。してやられたというわけだ。
「で、蘭丸君は部活に入るのかしら」
放課後、母から持たされた菓子折を濃姫に届けに来た時、ふとそう言われた。
「……部活?」
「だって、せっかく帰る場所が近くなったんだもの。下校に使ってた時間を有効に使わなくちゃ」
蘭丸はそれもそうかと考えてみるが、自分の興味を引くような部活は無い。中二病に片足を入れている蘭丸は、かっこよさそうだからという理由で弓道部にだったら入ってやろうと上から目線で考えていた。しかし婆娑羅学園に弓道部は無い。よって部活に入ろうと思っていなかった。でも家が遠いという理由で考えることを放棄していたのもまた事実。
「そうですね、考えてみます」
部活をすれば家に帰る時間が遅くなる。学生っぽい。それに、あの変態と一緒にいる時間も減る。もしかしたらいい案かもしれない。
「今日からもう下宿生活?」
「はい。母さん気が早くって」
「じゃあ光秀の家、まだ見てないのね」
「濃姫様は見たことあるんですか」
「えぇ、これでもいとこだし」
濃姫が視線を泳がせた。何か口を開きかけてはまた噤む。蘭丸は少し不安になった。
「……黒ミサみたいな部屋があったりしないですよね」
濃姫がふき出した。自分でも驚いたのか、慌てて口に手をやってふふふと上品に笑ってみせている。
「そんなの無いわよ。でも……えぇ、行ってみれば分かることですもの、今言うものでもないわね」
蘭丸がいかにも不服そうに唸ると、濃姫は丁寧に菓子折りの包装を解いて中から饅頭を二つ取り出した。
「じゃあ、お母様と光秀によろしくね」
蘭丸の手を取って、その上に饅頭を二つ乗せる。この人は他人を操るのがうまいと蘭丸はつくづく思う。こうして敬愛する濃姫に饅頭を託された手前、蘭丸が光秀に渡しに行かないわけがないのだ。
「濃姫様、何か企んでません?」
「あら、なんのこと」
にっこり微笑んだ口元が、少し光秀に似ているな、と思った。
学校のドアがこんなにも重く、邪悪に見えたことはない。保健室の引き戸を前に、蘭丸は二つの饅頭を持って立ち竦んでいた。
今さら嫌だとごねるつもりもない。ならばなるべく保健室の変態との仲を悪化させなければいい(仲良くするのは絶対に嫌だ)。しかしいくら考えても、あの白くてうねうねした何かと共生していくビジョンが浮かばない。何をどうすれば自分にとって最も気楽な生活になるのか、想像もつかないのだ。こんな状態であれの陣地に入って行っては、モルモットにされるのが関の山。
今すぐ片方の饅頭を握りつぶして戸を開け、顔面に向かって投げつけるべきか。それともお茶運びの人形の如く、恭しく饅頭を運んでいけばいいのか、分からない。
「こんな時は、信長様を思い出そう。信長様みたいにすればいいや」
蘭丸は最も敬愛する婆娑羅学園理事長、織田信長を思い出した。次の瞬間片手の饅頭を握り潰し、瘴気を放つドアを開け放った。そこから直線状に位置した机に向かって座る白い頭をめがけ、ビニールの包装から餡子がはみ出した饅頭を勢いをつけて投げた。
「是非もなしいぃ!!」
決まった。むしろ終わった気もするが、今の蘭丸には完全に信長様が憑依していた。少なくとも蘭丸はそう思っていた。
「うるさい」
光秀は背を屈めて、いとも容易く饅頭をかわした。そして壁にぺちりと当たって机に転がった饅頭を拾い上げ、蘭丸に投げて返す。蘭丸は呆然としながらもそれを受け取った。
「私一応公務員なんで、終わるまで待っててくださいね」
蘭丸は渾身の一撃を相手にもされなかったショックから、言われた通り保健室に入って待つことにした。
「食べ物を粗末にしてはいけませんよ」
くっくと笑う光秀を見て、少しイライラする。
「……これ、濃姫様から。……よろしく、ってさ」
蘭丸は潰れていない方の饅頭を差し出した。潰れた方は負けた戒めとして自分で食べよう。
「おや帰蝶から。お茶でも淹れましょうか」
そう言って立ち上がると、ポットに水を溜めて湯沸かしボタンを押した。
「緑茶でいいですか」
「苦いから嫌だ」
「緑茶しかありません」
じゃあ聞くなよ、と心の中でつぶやいた。なんだか脱力しきってしまってツッコむ気にならないのだ。
「同じ菓子折ですね。帰蝶に一杯食わされたんですか」
にやりと笑った光秀の口元が、やはり濃姫様に似ている、と蘭丸は思う。そう考えると濃姫に謀られたのではなく、光秀に謀られたのだとすら思ってしまう。蘭丸は視線を逸らして、話題を変えようと話のネタを考えた。
「お前の部屋、どうなってんの」
光秀は他愛なさそうに「別に、何もありませんよ」と言った。
蘭丸の目が光を捉える。蘭丸は何もない=何かを隠している、と見て弱みを掴んだ気になった。
「何があるんだよ」
「ベッド、ですかねぇ」
「ふざけんな」
潰れた饅頭をまた投げつける。今度は軽くキャッチされた。
「そんなに楽しみにしなくても、すぐ行くんですから」
光秀は笑みを浮かべながら饅頭を投げ返した。その時ちょうど湯が沸いた。光秀が茶葉の入った急須に湯を注いだ。「一分待つんですよ」と光秀が呟く。
「そういえば、蘭丸布団持ってきてないけど、来客用とかあるよな」
「そんなものありませんよ」
「え」
蘭丸は思わず固まった。光秀はお茶が待ちきれないのか軽く急須を揺すっている。
「……蘭丸、今日車で来たから帰れないんだけど」
「私の所に住むんでしょう。帰る必要なんかありませんよ」
「ソファで寝るしかないのか……」
「ソファもありませんけど」
蘭丸は頭を抱えた。
「お前の家、何があるんだよ」
さっきとは違うニュアンスで訊ねた。光秀は湯呑を二つ取り出している。
「私専用のベッドと机とか、ですかねぇ」
こいつ、『私専用』って明言しやがったよ。蘭丸は歩いて家に帰れるか真剣に悩み始めた。
そうしている間に光秀はお茶を湯呑に注ぎ終えた。饅頭のビニールを取って、手を合わせて「いただきます」と言う。
「まぁまぁ、お茶でも飲んでゆっくりしていきなさい」
湯呑を渡されて、蘭丸はずずと口に含む。
「苦い」
「ガキですね」
蘭丸がどうしようかと頭を抱えて帰ったところ、母が赤飯を炊いていたことによって蘭丸の道は一つになった。変態保健医と一つ屋根の下で暮らす道だ。すでに母は蘭丸の服を大きな鞄に詰め、必要な物を全て車に載せていた。そして明日は車で送ってやる、と嬉々として言うのであった。
そんなにも母は自分が邪魔なのか、変態と一緒に居ろと言うのか、と珍しく悲観する。しかし母は濃姫の従兄弟と言うだけで光秀を信頼しきっている。それに何より母は、登下校が辛いと嘆く蘭丸を見ていたので、止めるわけがない。
蘭丸は本日何度目かの諦めの境地に入った。
早朝、車に乗せられ登校する蘭丸は心の中でドナドナを歌っていた。
授業開始の一時間も前に到着すると、母が「明智先生に挨拶がしたい」と言った。どうりで早く出発したわけだ。
蘭丸は母と光秀のファーストコンタクトで全てがぶち壊しになるかもしれない、と淡い期待を抱いた。
光秀はとにかく見た目からして変態なのだ。黒いワイシャツに白衣はいいが、趣味の悪いチョーカーを付けている。さらに白い長髪で右目は隠れていて、いかにも不審者なのだ。お気に入りのマグカップは髑髏型。気味の悪い笑い方も相まれば、可愛い息子を預けられる人間ではないと分かるはず。
そう思えばにわかに勇気がわいてくる。相手が変態で良かったと思えてくるのは、さすがに神経が麻痺しているようだ。
戦場に立つ武将のように勇ましく、蘭丸は母を引き連れて保健室の戸を開けた。そこにはいつもの服でいつものマグカップを持った光秀がいた。瞬間、蘭丸は勝利を確信した。
「おはようございます。蘭丸君のお母様ですか? 私が蘭丸君を預からせていただきます、明智光秀といいます。よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げる男に、母はしどろもどろしながら
「こちらこそよろしくお願いします」
と言って菓子折を手渡した。
そこからは光秀のペースだった。爽やかな笑顔と慇懃な態度に、母が悪い印象を持つはずがなかった。二人の会話をぼうっと聞いていた蘭丸は、唐突に
「では蘭丸君、改めて、これからよろしくお願いしますね」
と言われ、会話が終了したのを知った。
母と光秀に手伝われ、車の荷物を光秀の車に移し終えると、母は笑顔で帰って行った。息子を預けるのになんの心配もないようだ。蘭丸は母のいる間に、ついに一言も喋れなかった。
母を呆然と見送った後、光秀がくすくす笑い出した。いつもの感じの悪い笑いだ。とたんに蘭丸は腹立たしくなった。
「お前なに猫被ってんだ! 気持ち悪いんだよ!」
声を荒げると一層光秀は楽しそうに笑い出す。
「こうすれば登下校が楽になるんですよ? お手伝いをしてさしあげたというのに、感謝の言葉も言えないんですか」
「うるさいうるさい! 変態なんかに感謝するわけないだろ!」
蘭丸はどんどん鬱憤を吐き出そうとした。しかし、そこで始業のチャイムが鳴った。
「あぁもう! お前なんか大嫌いだ!」
そう吐き捨てて去ろうとした。しかし
「蘭丸」
と、静かな低い声で呼びとめられた。振り返ると光秀が微笑んでいた。
「放課後、待ってますよ」
呪文のようだった。逆らえるわけがない。してやられたというわけだ。
「で、蘭丸君は部活に入るのかしら」
放課後、母から持たされた菓子折を濃姫に届けに来た時、ふとそう言われた。
「……部活?」
「だって、せっかく帰る場所が近くなったんだもの。下校に使ってた時間を有効に使わなくちゃ」
蘭丸はそれもそうかと考えてみるが、自分の興味を引くような部活は無い。中二病に片足を入れている蘭丸は、かっこよさそうだからという理由で弓道部にだったら入ってやろうと上から目線で考えていた。しかし婆娑羅学園に弓道部は無い。よって部活に入ろうと思っていなかった。でも家が遠いという理由で考えることを放棄していたのもまた事実。
「そうですね、考えてみます」
部活をすれば家に帰る時間が遅くなる。学生っぽい。それに、あの変態と一緒にいる時間も減る。もしかしたらいい案かもしれない。
「今日からもう下宿生活?」
「はい。母さん気が早くって」
「じゃあ光秀の家、まだ見てないのね」
「濃姫様は見たことあるんですか」
「えぇ、これでもいとこだし」
濃姫が視線を泳がせた。何か口を開きかけてはまた噤む。蘭丸は少し不安になった。
「……黒ミサみたいな部屋があったりしないですよね」
濃姫がふき出した。自分でも驚いたのか、慌てて口に手をやってふふふと上品に笑ってみせている。
「そんなの無いわよ。でも……えぇ、行ってみれば分かることですもの、今言うものでもないわね」
蘭丸がいかにも不服そうに唸ると、濃姫は丁寧に菓子折りの包装を解いて中から饅頭を二つ取り出した。
「じゃあ、お母様と光秀によろしくね」
蘭丸の手を取って、その上に饅頭を二つ乗せる。この人は他人を操るのがうまいと蘭丸はつくづく思う。こうして敬愛する濃姫に饅頭を託された手前、蘭丸が光秀に渡しに行かないわけがないのだ。
「濃姫様、何か企んでません?」
「あら、なんのこと」
にっこり微笑んだ口元が、少し光秀に似ているな、と思った。
学校のドアがこんなにも重く、邪悪に見えたことはない。保健室の引き戸を前に、蘭丸は二つの饅頭を持って立ち竦んでいた。
今さら嫌だとごねるつもりもない。ならばなるべく保健室の変態との仲を悪化させなければいい(仲良くするのは絶対に嫌だ)。しかしいくら考えても、あの白くてうねうねした何かと共生していくビジョンが浮かばない。何をどうすれば自分にとって最も気楽な生活になるのか、想像もつかないのだ。こんな状態であれの陣地に入って行っては、モルモットにされるのが関の山。
今すぐ片方の饅頭を握りつぶして戸を開け、顔面に向かって投げつけるべきか。それともお茶運びの人形の如く、恭しく饅頭を運んでいけばいいのか、分からない。
「こんな時は、信長様を思い出そう。信長様みたいにすればいいや」
蘭丸は最も敬愛する婆娑羅学園理事長、織田信長を思い出した。次の瞬間片手の饅頭を握り潰し、瘴気を放つドアを開け放った。そこから直線状に位置した机に向かって座る白い頭をめがけ、ビニールの包装から餡子がはみ出した饅頭を勢いをつけて投げた。
「是非もなしいぃ!!」
決まった。むしろ終わった気もするが、今の蘭丸には完全に信長様が憑依していた。少なくとも蘭丸はそう思っていた。
「うるさい」
光秀は背を屈めて、いとも容易く饅頭をかわした。そして壁にぺちりと当たって机に転がった饅頭を拾い上げ、蘭丸に投げて返す。蘭丸は呆然としながらもそれを受け取った。
「私一応公務員なんで、終わるまで待っててくださいね」
蘭丸は渾身の一撃を相手にもされなかったショックから、言われた通り保健室に入って待つことにした。
「食べ物を粗末にしてはいけませんよ」
くっくと笑う光秀を見て、少しイライラする。
「……これ、濃姫様から。……よろしく、ってさ」
蘭丸は潰れていない方の饅頭を差し出した。潰れた方は負けた戒めとして自分で食べよう。
「おや帰蝶から。お茶でも淹れましょうか」
そう言って立ち上がると、ポットに水を溜めて湯沸かしボタンを押した。
「緑茶でいいですか」
「苦いから嫌だ」
「緑茶しかありません」
じゃあ聞くなよ、と心の中でつぶやいた。なんだか脱力しきってしまってツッコむ気にならないのだ。
「同じ菓子折ですね。帰蝶に一杯食わされたんですか」
にやりと笑った光秀の口元が、やはり濃姫様に似ている、と蘭丸は思う。そう考えると濃姫に謀られたのではなく、光秀に謀られたのだとすら思ってしまう。蘭丸は視線を逸らして、話題を変えようと話のネタを考えた。
「お前の部屋、どうなってんの」
光秀は他愛なさそうに「別に、何もありませんよ」と言った。
蘭丸の目が光を捉える。蘭丸は何もない=何かを隠している、と見て弱みを掴んだ気になった。
「何があるんだよ」
「ベッド、ですかねぇ」
「ふざけんな」
潰れた饅頭をまた投げつける。今度は軽くキャッチされた。
「そんなに楽しみにしなくても、すぐ行くんですから」
光秀は笑みを浮かべながら饅頭を投げ返した。その時ちょうど湯が沸いた。光秀が茶葉の入った急須に湯を注いだ。「一分待つんですよ」と光秀が呟く。
「そういえば、蘭丸布団持ってきてないけど、来客用とかあるよな」
「そんなものありませんよ」
「え」
蘭丸は思わず固まった。光秀はお茶が待ちきれないのか軽く急須を揺すっている。
「……蘭丸、今日車で来たから帰れないんだけど」
「私の所に住むんでしょう。帰る必要なんかありませんよ」
「ソファで寝るしかないのか……」
「ソファもありませんけど」
蘭丸は頭を抱えた。
「お前の家、何があるんだよ」
さっきとは違うニュアンスで訊ねた。光秀は湯呑を二つ取り出している。
「私専用のベッドと机とか、ですかねぇ」
こいつ、『私専用』って明言しやがったよ。蘭丸は歩いて家に帰れるか真剣に悩み始めた。
そうしている間に光秀はお茶を湯呑に注ぎ終えた。饅頭のビニールを取って、手を合わせて「いただきます」と言う。
「まぁまぁ、お茶でも飲んでゆっくりしていきなさい」
湯呑を渡されて、蘭丸はずずと口に含む。
「苦い」
「ガキですね」