* す だ か *

三つ目の名

三つ目 2

男は片手を濃姫の脚へ滑らせ、一丁の銃を抜き取った。
頬に触れている彼女の手にそっとそれを握らせる。
「貴女は約束を守りました。次は私が守る番です」
だから・・・と男は微笑んだ。
「今、ここで果たしましょう」
あぁ、そんな。と濃姫は歓喜にも似た絶望を感じた。
憎くて憎くて仕方なかった。自分をここまで地に落とした彼が。
会いたくて会いたくてたまらなかった。帰蝶と呼んでくれたたった一人の彼に。
ゆるゆると濃姫は首を横に振った。
「どうして謀反などしたの・・・?」
男は「さぁ?」と言って肩をすくめた。
「ふざけないで、答えて」
くすりとキレイに笑う。
「私達の間では頼み事をするときの決まり文句があったでしょう?」
一生に一度のお願い。
今の濃姫には色々と頼みたい事が多すぎた。
謀反を起こした理由を教えて欲しい。
また帰蝶と呼んで欲しい。
ここで自分の手によって死んで欲しい。
一緒にいて欲しい。
なんて、矛盾。
「私には、もう一生はないわ」
濃姫は悲しそうに俯いた。
男は濃姫の手を握っていた手をそっと放す。
「いいえ。あなたは帰蝶ではない。そして濃姫でもないのです。・・・そうでしょう?奥方」
きっとこれが最後の機会。
彼女は帰蝶だった。
     濃姫だった。
そして、奥方になった。
思わず自嘲してしまう。
一度だって死んだ覚えは無いのに、一生に一度の願いをこれで3回使ってしまうのだから。
今なら分かる。一生に一度の願いは本当に悩みに悩んで、考え抜いた末に言うものだ。
これが、一生の重みだ。
この重みに比例する、相応しい願い。
私を。私の。私に。私が。私と、
─ 一緒に、いて ─
頼みと言うにはあまりに出すぎた、願いと言うにはあまりにも切ないものだ、と彼女は思う。
銃は地に落ち、頬が濡れた。
両手で顔を覆い、膝をついた。
背はだんだんと丸まっていき、抱きしめられた。
強く抱き寄せ、優しく抱いた。
「はい」
幻聴かもしれないと感じるほどにその返答は小さな声で、うれしすぎるものだった。
「ただし、」
声は一度止まる。
「雨が、止むまでです」
とたんに聞こえる雨の音はしかし、今まで降り続けていたことを教えた。
言葉を失くした二人には雨の音はあまりにも大きく、家全体が震えているように感じた。
この震えが無くなり静寂が戻る頃には、彼の衣が乾く頃には、もう 二人ではいられないのだ。
彼が一言、「ここにずっといたい」と願ってくれれば別れなど恐れないのに、と彼女は思う。
─雨など止まなければいい。─
このまま洪水になって二人で死ぬことができたなら。 
つかの間の再開に、彼女の涙は止まらなかった。