* す だ か *

三つ目の名

二つ目 2

パチパチと爆ぜる音。
燃える建物の中を濃姫は走っていた。
ついさっきだ。光秀が謀反したと聞いたのは。
それまでの光秀の働きは素晴らしかった。
桃丸時代の時に約束した『強くなる』という事をみごとに果たし、戦には欠かせない重要人物であり、重役を任された。
つまりは誰もが光秀を信じていたのだ。
そんな中での光秀の裏切りは、油断しきっていた織田軍を壊滅させるに十分だった。あっという間に攻められ、織田の軍勢は次々と散っていった。
「おのれ……光秀」
ふと立ち止まった。燃える火の中からゆらゆらと近づいてくる白を見たからだ。
怒りがこみ上げてくるのが分かった。
「光秀!!」
光秀はゆっくり、ゆらゆらと近づきながら言った。
「おや、これはこれは帰蝶ではありませんか。惜しいですね、宴は今さっき終わったばかりですよ」
光秀の持つ鎌には鮮血が滴っている。濃姫はそれで全てを悟った。しかし、問わずにはいられない。
「お前、上総介様をどうしたの!!?」
にたりと哂って光秀は舌なめずりをした。
「殺しました。美味しかったですよ。信長公の血は……」
「貴様!!」
両手の銃を光秀に向ける。それと同時に光秀はアハハハ!と狂ったように笑い出した。
「悔しいですか?悲しいですか?私が憎いですか!?」
「黙りなさい!!」
笑いながら光秀は「あぁ、帰蝶。」と言う。
「帰蝶。お願いです。一生に一度のお願いです。一生私を恨んでください」
「その頼み方、これで二度目よ。一生に一度の願いなのでしょう?」
カクンと首をかしげて光秀は妖しく笑った。
「私は桃丸じゃありませんよ。桃丸の一生は終わりました。今は明智光秀の一生です。つまり二度目ではありません」
濃姫はしばらく考えた。
「いいわ。言われずとも一生恨んで憎んでやる。その代わり・・・」
ぐっと銃を持つ手に力を込める。
「私、濃姫の一生に一度の頼みよ。私の手で死になさい」
「あぁ」と光秀はうれしそうに哂った。
「貴女ができるのならば」
「侮るな」
タァァン!・・・と銃声が響いた。

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「帰蝶」と呼ばれた。
幼い頃に捨てたその名はとても懐かしく、安心すると共にあの頃に戻りたいのに戻れないという寂しさを感じた。
真っ白な青年は過去の名前を呼んで私に言った。「過去は振り返るべきではない」と。
懐かしい名前から私は思わず過去を振り返ってしまった。
まだ幼く、純真であった頃の思い出。現実が楽しく、毎日のように笑っていた思い出。
全て、幸せであった頃の思い出。
楽しい思い出は振り返ってみて思わず笑みがこぼれた。
しかし、もう全ては過去のことなのだと思うと、とたんに悲しくなった。
私が桃丸の言葉を聞いてあの地に留まっていれば良かったのかもしれない。いや、そうすると力をつけた織田に攻められ今頃は死んでいたかもしれない。そもそもこんな時代じゃなく、戦の無い時代に生まれていれば・・・。
そんなありもしない、今になってはどうしようもない愚かな仮定が広がって止まらなくなる。
あぁ。確かに過去など振り返るものではない。今がどんどん憂鬱に思えてくる。
それでも、戻ることができたなら・・・
名前の呼び方一つで戻れるのなら私だって彼を「桃丸」と呼ぼうではないか。しかしそんなモノはただの気休めだ。
現実から目を反らして自分を慰めているにすぎない。
きっと、そういうことだ。
人一倍夢見がちだった彼は古い名を呼んで、少しでも思い出の中の、幼く、平和だった頃に戻りたいのだ。
そんな幻にすがる壊れてしまいそうな彼に、誰が「幻だ。」と言って現実を押し付けられるだろう。
少なくとも私にはできない。もしかしたら上総介様が彼を壊してしまうかもしれない。そしたら、私が守ろう。子供の頃のように手を引いてやろう。
なんだ、やっぱり彼は昔と変わらぬ桃丸なのではないか。
すこし、ほっとした。